修先生のよもやま噺

病気治しは三つの癖治し 後編

病気治しの三番目は「心の癖の治し方」です。私が一番力を入れているのは、この心の癖治しです。

まず病気はこの心の癖から始まっていますので、この癖の修正です。病気は自分の癖を治すために与えられたようなものです。「あなたの癖はこれですョ」と病気が教えているのです。「病気は神様がくれたお手紙」だと思って、素直になって自分をしっかりと見る事です。

その中でも「心配ごころ」というものはとても難しいものです。親は子供がかわいいあまり、心配ごころを起こして子供のことを考えます。このような心は親心として大変優しい良い事であると思っていますが、実は心配ごころはマイナスエネルギーで陰の心です。「このようにあってほしい」「こうあるべき」という自分の我欲でもあるのです。このマイナスエネルギーを四六時中向けられた子供は病気になります。また、いつも心配をしている本人も病気になります。

だから私は心配ほど悪いものはないと思っています。うらみも、ねたみも、イライラも、クヨクヨも、心配ごころも全部同じ陰のエネルギーです。心配ごころとはやさしい人の心のように感じますが実は違うのです。マイナスエネルギーですから体はその毒気でやられてしまいます。「心配」はいけません。「心くばり」はいいのです。病院代よりも心配料の方が高いのです。

心配ごころの根っこはどこか?とさぐってみれば「欲」というつぼから出ています。これは心配ごころだけではありません。悩み、うらみ、ねたみ、イライラ、クヨクヨ、これ全部同じ根っこを持った枝や葉です。それを後生大事に持っていたらやがて花が咲き、実になり、また萌えてきます。それは毒の花であり、毒の実です。

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特に病気の本人が「この病気は治るのだろうか?どうなるのだろうか?」と心配してもどうにもならないのです。心配したおかげで良くなったという話しを聞いたことがありますか?かえって心配は心配を生み、心配は広がり、いよいよ手も足も出なくなって心配のとりこになってしまうばかりです。

このような心はすべて我欲から出たものです。人間は生かされているもの、自分で生きているのではないのだということをまだ心の底から認めていないという証拠です。自分の心、人間心で「あんなになってほしい。こんなになってほしい。こうあるべきだ」とさも自分で生きているかのようにあがいている間違った姿です。生きているのではないでしょう!自分の力で生きているのですか?この空気も太陽の光も熱も命に必要なものはすべてタダじゃないですか。いかがですか!「生かされて生きる命」であることをもう一度はっきり腹に入れてくださいネ。

人間は学ばされているのです。いろいろな事があるのはすべて魂の学びなのです。すべて魂の学びの教材として与えられたものです。あなたにちょうどいい学び、あなたにちょうどいい問題がちょうどいい時にだされているのですから喜んで解決していきましょう。

「うれしい、楽しい、ありがたい、万事好都合、これが一番、必ずよくなる、きっと良くなる、きっと善くなる、まちがいなし、ありがとうございます。」
このように心を決めれば物事は思っているとおりどんどん運んできます。信じて信じて信じ込みましょう。